4/18 日本もサマータイム導入すべきだよね
全休...本日も無為に過ごしてしまった。しかも希死とは真逆、避死願望に取り憑かれた僕にはこの世界が非常に苦しく虚しくやるせなく思いまして、街が暮れていく様をぼんやりと見ておりました。
気分の沈みようはそりゃもう大変なもので好きなカラオケも2時間行ったのに1曲で飽きてしまった。そして川端康成の「温泉宿」を読みました。身分の低い、皆から嫌われる立場の人にスポットを当てるのが好きなのかな。群像劇って感じだった。
あと物思いにふけるうちに思ったことを。
夏の午前6時と冬の午前6時が同じ時間なのっておかしいだろう。
前者は日が出てるが後者はまだ暗いぞ。
きっと昔の人は夏の6時には起きてたし、冬の6時には寝てたんじゃないのかな。
太陽を浴びて目が覚めるっていうし、日光は睡眠に重要なファクターなのは間違いない。
僕らはタイマー付きのロボットじゃない。
だから、四季に配慮した時間設定、サマータイムの導入は理にかなってると思いました。
なんか文章がまとまらない...知能の低下を感じる。
最近嬉しかったのはキリル文字が読めるようになったことです。
そして、なんだか人肌が恋しい。
そうかつ 50-ヘラった30+読書5
25点
4/17 死ぬのって眠るような感じなのかな
昔倫理の先生が言っていた。我々は死を経験することは無いと。死ぬ直前は「生きている」が死んだ瞬間すでに「死んでいる」から。死を経験することは無いんだって。
そういう意味で眠りと死は似ている。僕らは眠る瞬間を知覚することはない。眠る直前は「起きている」し、寝た瞬間からすでに「寝ている」からだ。当たり前のように僕らは寝ているが、思った以上に不思議な現象だなと思う。
寝るとき、特に夢すら見ていない時。これはもう死んでるのと変わらないのでは?死とはこの状態が有限時間ではなく無限に続くだけなのかもしれないな....正確には死以後には時間軸も存在しないので無限というのも語弊があるだろうけど。
でもこのまま寝てもう起きることが無いなんてそんなの嫌だな。怖いな。
じゃあ眠りから覚めるキッカケをあげよう!→「最後の審判」「エジプトのミイラ」とかね
死んだ先のは霊界があって次はそこで生きることになるよ→仏教とか...イスラム教もかな?
みんな僕と同じように怖いって思ったんだな。先人君たちから何も進歩していないね。笑笑
こんな時ってどうせ死ぬんなら人生何も意味ないって自暴自棄になりそうだけど、それは論理の飛躍だよね、その過程にもきっと意味を残せるはず?子孫残したりねwwwww生物にとっての義務でござるなwwwww
そう考えるとレールの乗ってるだけの人生がアホらしくなってくるな。眠い。さぁ今日もまた死が訪れる。だけど幸いなことに明朝には再生できそうだ。では諸君、ひとまず今生のお別れだ。明日の僕は今日覚えたキリル文字を覚えているのかな?
総括 50+キリル文字30=80点
4/16 絶望怨嗟憎悪悲劇残酷無比怨憎会苦阿鼻叫喚
バイト先にて。
スタッフさんと同僚さんが話している。
私「お疲れ様です」
バ&同「お疲れ様です」
その後2人の会話を尻目に帰る準備をしていると・・・
バ「この間飲みに行ったんですよ(^^)」
スタ「へー!誰とですか」
バ「バイトの皆さんとです(*^▽^*)」
同「そうなんですか!(こっちを見て)私さんも行かれたんですか?」
私「....よ....呼ばれて.....ない......です。」
同&スタ「あっ...ホンマ...(絶句)」
飲み会メンツさん以前飲もうって行ったやんけ!!!言ってくれたやんけ!!!!!!!!
嘘だあああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!(ブリブリブリブリュリュリュリュリュリュ!!!!!!ブツチチブブブチチチチブリリイリブブブブゥゥゥゥッッッ!!!!!!! )
総括 50-G(4)←1グラハム数 点
4/14日記 坊ちゃん
塾講4コマとかしんどいんじゃ...今日もお金を稼いできました。小学生は無邪気が1番。かわいいわぁ。
昨日と今日で坊ちゃんを読み終えました。正直、すごく面白かった。納得の一冊です。夏目漱石の本、色々読んでみようかな。
坊ちゃん一貫性のある生き様、型破りな男らしい姿勢、非常に魅力的だった。この本にはごますり人間や知性化ぶった人間が出てくるが、彼らの下卑た論理を見事に打ち砕く様は痛快の一字に尽きる。他者に迎合しがちな僕は身が引き締まる思いがした。
人生に大切なものっていうと大抵の人は他者との関係なのだろう。でも坊ちゃんのような人は自分がどう生きるかということに主観を置いてるんだろうな、内部志向型って言うんだっけ。そういう人になれたなら胸を張って生きられそうな気がする...難儀な道のりになるだろうけれど。楽だから他人志向型が多いわけだし、きっと。
まず彼のように生きるには「軸」となるモノが必要なんだよね、彼の場合江戸っ子根性とかだったけれど、それを見つけるのが難しい。何があっても「是」と言えるような「軸」が。
哲学者なんていう連中は恐ろしいほどに強固な「軸」を持っていて、哲学はそれと現実のニッチを埋めていくっていうのが主な作業だと思う。でも「軸」が必ずしも自己を肯定してくれるわけじゃないんだよな、「不条理」とか「絶望」とか「不可知論」とかそんなんもある。日和見な相対主義者に哲学はできません。でも僕らもきっと今後の人生を通して自分なりの「軸」を持っていくんだろうな。真の他者志向なヒトなんていないわけだし
ゲーム理論に絡めたことも書こうと思ったけど疲れたから次回以降
今日 50+おばいと20+楽しかったボーナス5-ノー勉20+本読了30-人との関わり15
総括70点